皆さん いつもお付き合いいただき有難うございます。

今日は窯焚きの合間に
多少自分のことを書いてみます。

大学を出て陶芸専門学校に行きました。
産地などには当たり前にあるものでしたが 「私立」としてはさきがけでした。

そこで 天目研究に欠かせない「炭化」(陶芸業界の通称。化学的には違う)の
第一人者の先生(当時、文字通り、飛ぶ鳥を落とす勢いで最優秀賞総なめ)に師事しました。
第三の焼成に早くから接したことが 大きく後の研究を左右していると思います。

その頃から私は鉄釉に魅せられ 釉薬の研究をしていましたが その先生は 焼しめの方でまた
他に3人いた先生方も芸大出の磁器絵付けの方でした。

逆に言えば、釉研究のスタートラインで 固定観念が入らず
全く自由にやらせてもらったのが独創に繋がったのかもしれません。

地質など実地で 土好きな私と先生の会話が弾んだことなど 思い出も少なくありません。

実は専門学校に先立って 陶芸は考古学の趣味が嵩じて中学の頃より始めており
主に縄文土器の再現が多かったので 粘土採取や道具作り、焼成など自前でしてました。

それより遡り 私はリサイクル業を営む家に生まれましたので 物心ついたときには
様々な金属部品の巨大な山から お気に入りの形や金属を集めることが遊びでした。

アルミや真鍮、銅や砲金、金や銀、ステンレスやダイカスト・・・・作業員のおじさんなどにいろいろ教えてもらい

酸素バーナーによる解体など、炎を見るのも好きで、何より金属好きで、その重さを手にしたり目で金属の質を確かめたり

時には合金割合なども従業員さんに教わったりした、今に思えば、変わった幼稚園児、小学生でした。

親戚が最近まで続けていましたので 先日、息子を連れて行って金属の山で遊ばせてやりました。

しかし、息子らは皮膜をはぎ取った瞬間の銅のぞくぞくする光やそれがうず高く山になっている光景に

何の興味も示しません、、。

私としては幼いころ、叔父が手秤で どんなメッキ製品でも中身を当ててしまうのをみて
自分でも不思議なくらい 尊敬と憧れを抱く感情がこみ上げてくるのを感じ
「三つ子の魂・・・」よろしく 今でも自分でも驚くほど金属に興味があることに

あらためて気づかされることが多くあり、こんな研究の持続も、元は原体験に起因しているのでしょう。

私の子供の頃のコレクションは 金属、岩石、色ガラス、それに石器や土器です。
これらが 後の人生を決定づけました。
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金属とガラスの融合=グレーズアート=曜変天目

要するに自分の好きなものを 融合出来るか?が
私の今生の仕事のようです。
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原理は解けていますが 目にもの見せる「美の実証」が今の課題です。

皆さんには
外堀から埋め尽くすやりかたで ご理解いただきながら 本物をお見せしたいと思っています。