皆さんこんにちは いつもご覧いただき 有難うございます。
今日は 私がグレーズアート=釉藝の提唱にいたった思考について 少し触れたいと思います。
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様々な工藝展を俯瞰いたしますと 磁器・陶器・漆、金工などの分野に関係無く
モティーフや表現対象が
最近、急激に煮詰まっているような気がするのは私だけでしょうか?
以前は 素朴・ありのまま・正直・健康・のんびり・土味・・などストレートで無骨、無邪気、
なもの・・・民藝という価値基準も多分に取り入れられ 入選していたようで
比較的ゆったりした 使う人の健康な家庭生活をも連想させられましたが
今では 手の込んだ幾何学模様や 日本画さながらの デザイン競争の様相です。。
モチーフ(原動機)、制作動機、とでも申しましょうか どんな『美』を標榜しているか?
作者はいったい 何を『美』と思っているのか?
あまたの作家が 焼成や器形の障害を乗り越え デザイン画に苦労されていることは
十分承知しておりますが
どうしても紙に書いた方が より自由自在に 表現を突き詰められると思うのですが・・。
「困難を越えて描くのがいい」 「絵を描いたほうが売れる」などいろいろご指摘をいただくと思いますので
これくらいにしておきます。
真面目にやってらっしゃる方スミマセンでした。
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私の個人的な主張は 陶芸とは焼くこと。ーー つまり焼かなくても出来ることはそちらに任せ
焼かなければ出来ないことをするーーーこれだけです。
大理石も岩石も 地球自体も 宇宙の焼き物。
バリエーションそれぞれが 宇宙の法。
様々な真理や摂理を表現する エネルギーの視覚変換。
私は そこに関われることに幸せを感じ 新しい表現スタイルを提唱するのです。
今まで岩石や鉱物、宝石などには見られなかった摂理を現出する。
宝石や輝石はその希少性と輝き、クオリティーで価値があります。
現代、工業用ファインセラミック分野が発達しています。
古代から近代まで 土を焼いて固める先端産業だった焼き物が
「伝統」の看板にしがみついても・・・。
実際、現実的には その機能性において 役割を終える段階に差し掛かっています。
食器ばかりか
美術工芸品も もはや住宅の事情等から 調度品としての役割も 薄らいできているようです。
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『美』を追求するセラミックとして、
「用」を離れた純芸術として 「グレーズアート」という新しい観念が生まれるのも
歴史の必然のような気が 私はするのです。
『摂理』には「必然」と「調和」、そして生きとし生けるものが従わ無ければなら無い「法」があります。
人間の力量をはるかに越えた 摂理を発見し
『美』として作品に表現する「発見者」「到達者」としての喜びも【グレーズアート】にはあります。
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今日も コアな話にお付き合いいただき有難うございました。